小さかった頃、好きだった絵を描いていたらいつの間にかスタジオミュージシャンになっていて、自分の演奏用の機材を貸してあげてたらいつの間にかPAの仕事していて、気がついたら自分のスタジオがあって、そこに仲間がイッパイ集まってきていた・・・・
自分の経験なんて恥ずかしくて人には言えないよ・・・なんて思ってたけど、音楽を目指す人や自分の事を不器用なヤツなんて思ってる人に少しだけお話ししても良いんじゃないかと思うようになってきたんだ・・
だって、こんだけ不器用なヤツがどうにかここまでやってこれたんだから。
今思っていることは、こんな不器用な音楽達が「自分たちはここにいる!」ってことを音楽の輪を広げながら訴え続けていくこと・・・「音楽の裾野を広げていったら、その頂点も高くなる」って本気で信じているんだ。
| 2005 | ・太子町「ひまわりの湯」で隔週で行う「サタデーナイト・ライブ」のプロデュース ・劇団「プロデュースF」アトリエ公演「海のサーカス」(鄭 義信:作 小林みねこ:演出)の作曲/編曲/生演奏を担当 3/25・26・27をチェロの「芳山朋史」氏、4/1・2・3をパーカッションの「森川陽介」氏と、舞踏家の宮永照代氏と共に計8回公演を行い好評を博す |
| 2004 | ・Mju:pop-Himeji企画「mica & Mika Live」イタリアン・レストラン バール・サンマリノで大阪のボーカリスト「Mika」とギター&ボーカルのユニットで演奏 ・姫路商工会議所青年部「ミュージアムオープンカフェ実験事業」姫路美術館ライブ 音響/プロデュース(チェロ&ピアノ) ・TV-CM 「宍粟住建 こだわり編」イメージソング作・編曲 ギター演奏で参加 コーラスに「mica」が参加 ・「白井英人 追悼コンサート」パーカッションチームTEEDAと「NORTHERNLIGHTS」を演奏 ・IGS倶楽部イベント「話そうフェア」音響アドバイザー PA ステージ・プロデューサーを担当 演奏:MjupopHimejiより募集 ・クラブ系ライブハウス「Club Leaf」の音響/音響テクニカル・アドバイザーとして契約 ・5/29姫路船場本徳寺「まちづくりコンサート」TEEDAと出演 NHK SUN-TV 姫路ケーブルTVのニュースに登場 神戸新聞・朝日新聞でも取り上げられる(当HP NEWSなおびわんちゃんで紹介中−) ・7/4 Mju:pop-himeji「WA! re:Can LIVE」のオープニング・アクトを担当。 パーカッションチーム「TEEDA」とNORTHERNLIGHTSを演奏 ・姫路駅ビル(FESTA)4F 屋上ビアガーデン「LA Fuente」で、6/10〜9/15の期間、■開催日数 58日■延べ出演者数210名 ■ステージ数161の ライブのプロデュース・PAを担当 (LIVEの模様を当HP エッセイ・エトセトラに掲載中) ・姫路駅ビル(FESTA)において、FESTA セミクラシック&アコースティック・コンサートのプロデュース (7/17〜8/28までの毎土曜日) ・太子町の健康ランド施設「ひまわりの湯」でクラシック・R&B・ブルースなどの従来のアトラクションを踏破する企画のプロデュースをスタート |
| 2003 | ・姫路ケーブルTV−Wink −新春特別番組 「NEW
YEAR HIMEJI 2003」 イメージ曲 「NEW
YEAR」
プロデュース 録音 担当 ・音楽支援団体「Mju:pop-Himeji(ミューポップひめじ)」発足 代表を務める ・太子町文化会館自主事業 子供向けミュージカル「冒険者たち」作/編曲 担当 ・姫路商工会議所青年部イベント「キャッスル・ガーデン」 大阪のボーカリスト「Mika」とギター&ボーカルのユニットで演奏 ・Mju:pop-Himeji企画「ひろめ市場LIVE」に大阪のボーカリスト「Mika」とギター&ボーカルのユニットで出演 ・姫路商工会議所「播磨の宮本武蔵」特別委員会制作 「播磨の武蔵」作/編曲 録音 ・サンTV 幼児向け番組「ちびっ子大辞典」音楽監修 及び主題歌集CD「ぴーたんのおくりもの」プロデュースを勤める ・イベント「TEGARAYAMA」をクラブ系ミュージシャン/DJ達と実行委員会を発足 パーカッションチームTEEDAと共演 Mju:pop-Himejiも参加 ・ラスベガスMGM「SIMON & GARFUNKEL Old friend Concert」見学のため3度目の渡米 ・JA西兵庫のイベント「ひめじ夢フェスティバル」の舞台総指揮を勤める ・Club Liaf にてトランス/ヒップ・ホップ系イベントのオープニング演奏をパーカッションチームTEEDAと「NORTHERNLIGHTS」を演奏 ・ONE LOVE CONCERT Vol.7参加 ・オーロラ英会話製作 「英会話教材CD Vol.2」音楽・効果音製作 音響ディレクター担当 ・TV-CM「ホテル夢乃井 春夏編/秋冬編」音楽プロデュース 歌と演奏「mica with youichi」が担当 コーラスに「妹尾知茂」氏が協力参加 |
| 2002 | ・オムニバスCDアルバム・シリーズ「MJ〜ミュージック・ジャンクション〜Vol.2」制作 プロデュース/ディレクター担当 ・ONE LOVE CONCERT Vol.5 Vol.6参加 ・オーロラ英会話製作 「英会話教材CD」音楽・効果音製作 音響ディレクター担当 ・ライブハウス「E・Clat」の音響管理 ・サンTV 特別番組「真珠王 御木本幸吉が求めたもうひとつの“美”」 音楽担当 (出演 美木良介)) ・コムサロン21イベント 亀山本徳寺 「異種弦楽四重奏団 Woody & Steel」演奏 ・サンTV特別番組「作東町ぶらり旅」 音楽担当 ・姫路セントラルパークライブ(夏・冬) プロデュース ・FM-GENKI「ヒットチャート倶楽部」ゲストコーナー プロデュース担当(2003年11月まで続行) ・トムクルーズ主演 ハリウッド映画「ラストサムライ」姫路ロケでの記者会見場(特設ヘリポート)でも音響/音響デイレクターを担当 (この時のインタビューの模様はANGIE RECORDING STUDIO HP http://www.angie.co.jp で公開中) ・セキスイハウス・イベント 音楽演奏アドバイザーを年2回担当 (2004年5月現在 続行中) |
| 2001 | ・3月 ANGIE RECORDING STUDIO完成 アマ・プロミュージシャンとの交流を深める ・オムニバスCDアルバム・シリーズ「MJ〜ミュージック・ジャンクション〜」制作開始 プロデュース/ディレクター担当 ・兵庫県太子町/平方法伝哉保存会制作 ビデオ「無形民族文化財 平方のお幡入れ 法伝哉」 イメージ曲「命の炎(ほむら)」作曲・録音 ・社団法人 近畿建設協会制作 記録ビデオ「ローダック21 姫路ビル −完成への道−」 音楽担当 ・太子町文化会館自主事業「LIVE in ASUKA」音響ディレクター及実行委員として参加 及テーマ曲 作曲・録音担当 (現在も続行中) ・ONE LOVE CONCERT Vol.3 Vol.4参加 ・竜野市のイベント「たつの市民まつり」音響テクニカル・アドバイザー/ディレクター担当 (現在も続行中) ・Kiss-FMラジオCM「オートセンターJU兵庫 ありまっせシリーズ」監修/作曲(2001年〜2003年まで続行) ・TV-CM「姫路セントラルパーク 風の城編」音楽制作担当 |
| 2000 | ・兵庫県龍野市の2000年事業、「龍野小唄」のニューバージョン「TATUNO-KOUTA Hip-Hopバージョン」のプロデュース・編曲・録音を担当 ・「清水勝」追悼コンサート」にスタッフ・演奏者として集まった音楽仲間と「ONE LOVE CONCERT実行委員会」として発足 音楽仲間と実行委員参加Vol.1 Vol.2 ・「清水勝」追悼CDアルバム「Memorys」 プロデュース ジャケットデザイン担当 ・竜野市のイベント「たつの市民まつり」音響テクニカル・アドバイザー/ディレクター担当 ・ユニット「異種弦楽四重奏団Woody & Steel」結成 アコースティク・ギター×2 チェロ1 バイオリン1 ゲストVo.のスタイルで新しい音楽に臨む |
| 1999 | ・7月 レコーディングスタジオ機材と楽器の入手と視察のためニューヨークに再渡米 マジソン・スクェア・ガーデンでの「ポール・サイモン/ボブ・ディラン」のジョイントコンサートに感激 |
| 1998 | ・6月1日 社名を現在の「有限会社アンジー」に変更
・初のDTM曲集「MELODY'S」を要望に応えて発表 しかし半年後にはアルバムとしての完成度が納得出来ないため発売中止とする(2004年5月現在 作業続行中) ・奈良テレビ 特別番組「えにし 〜藝游人 中村天風〜」作曲・音楽 担当 (ナレーション 佐川 満夫) |
| 1997 | ・サンTV 「真夜中の ジャズまじろ」に石橋敬一氏と共にレギュラー出演、同、プロデューサー
として参加 同番組で代表曲「NORTHERNLIGHTS」を発表 ・自社ビル・レコーディングスタジオ建設を決意 ・PCによる音楽制作(DTM)を開始 ・9月 ベーシスト石橋恵一氏と音楽仲間でジャズ・ライブハウス視察のため初渡米 世界的な女性ボーカリスト「ヘレン・メリル」さんを紹介していただき大感激! ・デイキシーランドジャズ・バンド「キャッスルジャスバンド」の結成20周年記念CD製作にディレクターとして参加 |
| 1996 | ・世界的なベーシス「石橋敬一」氏のジャズLIVEハウス「Wish」で1年間ライブの録音を務め、アコースティック楽器の録音に自信を深める ・ジャズ・ミュージシャンとの交流が深くなっていく |
| 1995 | ・スタッフも順調に育ち、ギタリストとして復帰、サンTV音楽バラエティー 「DODONPA
LA×3」にレギュラー出演 音響テクニカル・アドバイザー担当 ・ライブハウス「Barrel House」のオムニバスアルバム「FROM THE BARREL」にプロデューサーとして参加 |
| 1985〜1993 | ・全国レベルの本格的プロ・オペレータースタッフを育成のため、演奏活動を一時中断し、自宅で事務所設立 ・1987年 5月1日「アンジー・トータル・プロデュース・オフィス」に社名変更 ・1990年 神戸国際ステージと派遣契約を結ぶ(1993年まで続行) ・1991年 5月1日 姫路市城東町京口台に事務所移転 ・1993年 兵庫県福崎町立「エルデ・ホール」ホール/兵庫県太子町立「あすか・ホール」ホールと出向契約を結び、音響だけではなく総合的なステー ジ制作会社としての地位が高まっていく。 |
| 1981〜1985 | ・姫路の情報誌「TOWNはりま」で音楽コーナーを1年間連載 他にも色々な情報誌に映画・音楽のコラムを担当。 ・初めてのセッショングループ「THUMB(サム)」を音楽仲間と結成、ブルーグラス・ロックを目指す(おびわんちゃんはバンジョー担当) ・劇団プロデュース・F 本公演「若者たち」 音楽担当・(演奏THUMB) ・ 〃 「泰山木の木の下で」 音楽・生演奏担当 ・1983年 各種プロ・アマの文化人(作家・写真家・音楽家など)が集まるようになった喫茶店「ANGIE」を惜しまれながらも閉店。 ・現在の「アンジー・サウンド・プロジェクト」の前身、「企画集団アンジー」を設立、アマチュア音楽の推進活動、コンサートのプロデュース等を多数行う(TIME LIMT-10 Vol.1 Vol.-2など) ・その他、アマチュア・ミュージカル劇団の作曲、企業のイメージ・ソングや、CM音楽、サウンドロゴの制作も行うようになる ・姫路市内の大型小売り店舗内でmini-FMの電波を利用して、子供向けイベントを毎週日曜日に生放送を3年間実施 ・上記店舗の中に喫茶店「モッキンポット」を開店 その時アルバイトに来た高校生こそ、ANGIEの1番古株のスタッフでHPの管理人でもある「pang」である しかし、1年でその喫茶店は営業不振で閉店・・再び200万円の借金を抱えることになる |
| 1981 1/11 | プロの演奏家として得た収入を投入して“幻の喫茶店”「ANGIE」をオープン。 現在の基礎となる「人の輪」の私にとってのビッグ・バンとなる。 |
| 第2期放浪時代 | たまたま出会った姫路市内の舞台制作会社の社長から手伝いを依頼され、それをキッカケに自分の演奏用の機材を運用した音響を中心に生活の基盤を置く。 この頃から劇団関係者との交流も増えていく事になり、兵庫県芸術祭参加合同演劇「アディオス号の歌」の音楽・作曲・音響 を担当。 アマチュアバンドのプロデュースで800人のキャパの姫路市民会館を満員にし、プロデュース業に自信も持つようになる。 |
| 1975〜1978 | ・大阪のライブハウスの仲間達と音楽事務所を東加古川で設立するが、チケット持ち逃げの裏切りなどで事務所は火の車に・・散っていくように誰もいなくなり、結局200万円の借金をひとりで返却することに・・・アルバイトを重ねて約2年で完済したが、最も辛い時期だったが。 ・スタジオミュージシャンを復帰・・ニューミュージックを中心に、アイドル系のレコーディング・コンサートに参加。 スタジオ・ミュージシャンの仕事よりも興味があった録音テクニックを、某メジャースタジオのスタッフにまとわりついて録音・録音機材についての技術を習得。 しかし、その後ミュージシャンの仕事をする程に、流れ作業的な商業的音楽産業に疑問を持つようになり独自(自分が理想とする)の音楽を志す。 ・当時上映された「スターウォーズ」シリーズのキャラクター「OBIWAN-KENOBI」役のアレックス・ギネスが演じる“世を捨てた賢者”のイメージが気に入りその頃よりペンネームなどに「OBIWAN」を名乗るようになる。 |
| 1974 | ・大阪のライブ・ハウスで演奏中、某メジャー・レコード会社のディレクターにスカウトを受けスタジオ・ミュージシャンとなる・・・当初、事務所入りしてアイドル路線で売り出す予定だったらしいが、本人(私)が強く拒絶したため、ペナルティとして事務所には在籍できずスタジオに回されたというウワサだ。 ・「GUILD F-50RNT」をローンで購入。 しかし東京への交通費が捻出できず売却・・現在も大後悔中 ・スタジオのディレクターのツテでジーンズのモデルをする・・意外とギャラが良かったので更に↑の後悔が増す ・家庭の事情ででスタジオ・ミュージシャンを一時休止、大阪のライブハウスを月1回のペースで行う |
| 放浪時代 | 喫茶店のアルバイト・楽器店のアルバイトをしながら音楽・楽器・音響機器の研究をしながら当時複数あったフォーク・サークルに出演をするが、サークルのメンバーの音楽に対する姿勢の甘さを痛感し独自の演奏会のスタイルを考案・実践を決意。800人のキャパの龍野市民会館で仲間4組でコンサートを主催し、大成功のうちに実質的なデビューを飾る・・18才だった。 音楽人生の前半を飾るギター「GUILD F-30NT」を購入 PAUL SIMONが使ってたからという単純な動機からだった。 2回目のコンサート開催時にPAで来ていた大阪の某ライブハウスのマネージャーのスカウトを受けて大阪に進出。 |
| 高校時代 | 極度の近視の為、ただひとつ出来るスポーツ「水泳」を武器に登校拒否児であったにも関わらず進学。・・・が、後に再び偽善的な学校の方針に抗議として校長の車をひっくり返しその場で自主退学。 |
| 思春期 | 小学5年頃から中学2年まで学校に偽善的なものを感じ嫌悪感を抱くようになり登校拒否を実施(??) その頃「サイモンとガーファンクル」の音楽に出会い、特にPAUL SIMONの音楽と詩、ギターの研究に明け暮れる。全くの独学でクラシック・ギターを練習、小4から貯めていた新聞配達のバイト代で鉄線のギター(フォーク・ギター)を購入。当時で7万円だった |
| 少年期 | 音楽には興味もなく、小学校のころは絵画展の入賞常連で、「マンガ家」を夢見ていたが、小学校も終わりの頃雑誌のイラストコンクールで優勝し、賞品に送られてきたギターにのめり込んでいく。 |
| 某年 8/14 | 大阪市に生まれ、家庭の都合により神戸の親戚で育ち、5才の頃これまた家庭の都合で兵庫県龍野市で少年時代を過ごす。 |
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